陶吉郎窯

日常の食卓で使える、新しい大堀相馬焼を。

水切り皿とは?About

水切り皿の始まりは、30年くらい前の近藤家の食卓でした。冷奴を食べていた時に、お皿を使う側の実感から生まれた器だといいます。はじめは取り外しができない一体型でしたが、中が洗いにくかったことから現在の形に。意匠登録も取得済みです。大堀相馬焼の伝統の二重構造にもつながる形状を持ちながら、下の器を単独で使うこともできます。手づくりの温かみを感じるのは、水切りの穴を一つ一つ手で開けているから。ご家庭の食卓でも、飲食店のお料理にも、自由な発想で使い方と楽しみ方を広げていただければ、うれしく思います。

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水切り皿の特徴Feature


  • 水気が切れる!

  • 焼き物や揚げ物の油が切れる!

  • 手軽に蒸し料理ができる!
九代目・近藤 学の写真

「こんな物を作りたい」という思いは消せない。
だから、技術と感性を磨きつづけていく。

九代目・近藤 学

1690年の創業から三百年を越える大堀相馬焼の伝統を受け継ぐ、陶吉郎窯の九代目・近藤学は語ります。「旅先のお土産ではなく、日常の食卓で使ってもらえる器として、これからの大堀相馬焼のことを考えた時に、同じ物を作っているだけではいけないと思うんです。伝統の先で、どう自分らしい作品を生み出せるか。常に『技術』と『感性』を磨きつづけなければなりません。産地を離れるという厳しい現実の中でも『こんな物を作りたい』という思いは消せないんです。」

その視線は、さらに前を向きます。「自分自身が『覚悟』を持って、新しい登り窯も作ったこの場所で作品づくりを続けていきたいです。ただ、どれほどカッコいいことを言っても、生業として成り立たなければダメなわけで。十代目になる息子と一緒にこの先の土台づくりをしていきたいし、この水切り皿のような発信もしていこうと思います。この仕事は、どんな時代でも家内制手工業で、一番大事なものは何だろうと考えてみると、それはやっぱり『家族』になるんですよね。」


十代目・近藤 賢の写真

食卓で料理を囲む人たちのことを思い、
皆さんが笑顔になれるような器を作りたい。

十代目・近藤 賢

陶吉郎窯の十代目になる近藤賢は「自分は小学生の頃から父の仕事を見ていて楽しそうだなと思っていて、継ぐことより前に焼き物をやってみたいという気持ちが強かったですね。」といいます。「あの震災で、陶芸家として大堀にいられたのは半年だけになってしまいましたが、貴重な時間でした。風や水などの自然をモチーフにして私自身が一人で作る作品づくりと、職人さんを含めたみんなの分業制で一緒に作り上げる大堀相馬焼の、両方を大事にしていきたいと思っています。」

この先へ向かう気持ちを聞きました。「焼き物を作る上では、どこでやろうと実は関係ないと思っているんです。もちろんさまざまな影響はありますが、それもプラスに考えて糧にしたい。この水切り皿もそうですが、器は使ってもらう物なんですよね。食卓で料理を囲む人たちのことを思い、皆さんが笑顔になれるような器を作っていきたいです。そして自分の作品が、これからの新しい大掘相馬焼の可能性を広げていく何か一つのきっかけになれればいいなと、そう考えています。」

さまざまなお料理に使えます。How to use

冷奴はもちろん、おそばやうどんのせいろ代わりにしたり、氷を置いてフルーツを。
また、お肉料理では油を切って下に落ちた油をスープに使ったり、そのまま蒸して温野菜を作るなど、使い方も広がります。

色は全部で4種類。Product

切り皿の色は、黒釉、白釉、織部、青磁釉の4種類。ご家庭のテーブルの色に合わせて、
また飲食店ではお料理に合わせて色を選んでいただくなど、それぞれの場面でお好みの水切り皿を、どうぞ。