陶吉郎窯

元禄三年(1690)の創業から受け継がれる「技術」と「精神」

 近藤家陶業の始祖である一代目近藤平吉(1736~1818)は、江戸旗本近藤登之佐の六男として生を受け、京焼楽焼を修行し江戸で楽焼師として創業。
安永六年(1777)会津藩より磁器焼師範として召し抱えられる。その後、三春藩に移り、十数人の弟子を養成し、多大な功績を残した。
 二代目近藤陶吉郎(1789~1857)は、三春で父平吉と楽焼の優品を焼いていたが、平吉の死後、文政二年(1819)相馬藩に大堀瀬戸方として召し抱えられ大堀の地に根を下ろす。
 大堀相馬焼は、元禄三年(1690)の創業以来日用粗陶器をつくっていたが、京焼楽焼の名工、近藤陶吉郎を召し抱えてから、制品の改良と多様化がはかられ、多くの優秀な陶工も養成された。近藤陶吉郎は大堀相馬焼中興の功労者である。
 創業以来その技術と精神性は脈々と子孫に受け継がれている。

大堀相馬焼とは~

大堀相馬焼は「相馬野馬追い祭」で有名な福島県浜通りの相馬藩が生みだした全国無二の古美術陶芸品であります。
徳川三代将軍家光からも、参勤交代の時に全国各藩から贈られる引出物の中で“最も価値のあるもの”とされたと文献にもあります。
その制作作技法は、数すくない陶匠の間で秘密とされ、星霜三百年以上を誇る窯元によってつくられています。
昭和53年に通商産業大臣(現在は経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定され、国により伝統技術、技法の保護、保存をし、産業活動として維持、発展の支援を受けている。